日本・日本人 4

・日本・日本人4
 定説に対する疑問。
 誰が言い出したのか知りませんが、文化は、「大陸から伝わった。」「渡来人が伝えた。」と言う話が、いつの間にか、定説のようになっています。

 しかし、私には、定説が言う伝来から、成熟するまでの期間が余りにも短いように感じられます。いくら日本人が優れていると言っても、何でもかんでも、伝えられてから、短期間のうちに、マスターして自家薬籠中の物にするというのは無理だろうと考えます。ほんのちょっとした刺激を受けただけで、咀嚼し、滑らかに展開できる必要且つ、十分なポテンシャルを、随分前から、培い、育んで、既に獲得し、維持していたからそれが実現できたと推測します。何故なら、日本以外にそういう事をやってのけた国は、世界中探しても、どこにもありません。

  例えば、鉄砲伝来から、2年ほどで国産化していますし、10年後には、世界一の鉄砲保有国になっています。刀鍛冶の技術が、いろいろなものに応用のきく高いレベルに達していたようです。江戸時代後期には、同様に蒸気船を、見よう、見まねで国産化していますし、明治維新の工業化、産業革命は、西洋人の先生の手を借りたというものの、それまでのポテンシャルが、十分に高くないと、いくらまねをすると言ってもそれは、不可能です。

漢字の伝来→万葉仮名→ひらがなの発明→漢字仮名交じり文。
  文字に対する欲求度が高く、「文字」という便利な道具か伝わると、ぎこちない万葉仮名から、洗練し、源氏物語等の文学にまで影響を与えました。

万葉集→平民、防人までが和歌を歌った。
  教養が高い。記録に残っていないだけで、文字伝来以前から和歌を歌っていたのではないのでしょうか。それも、下々に至るまで。身分等に、関係なく、記録に残っている訳ですが、分け隔てしない和の精神が既に存在し、機能していたように思います。

仏教の伝来→大仏、国教、国分寺
  新興宗教の仏教が、かくも早く定着し、国教レベルにまで取り上げられるまでになったのは、精神的なポテンシャルが高かったのでしょうか。法隆寺四天王寺東大寺等の大建築物の建設。大仏建造の製造技術。製造技術のポテンシャルも高かったのでしょう。

十七条憲法→内容は、恰も公務員心得のようです。
  行政・官僚機構が有る程度使い込まれて、その中で育まれた慣習的な約束事を、聖徳太子が集約したのではないでしょうか。それまでに、成熟するための十分な時間が有ったものだと想像します。皆さん一度内容をお確かめ下さい。

遣唐使の廃止→菅原道真は、中国に追いついたと考えたのでしょう。
 一部例外はありますが、日本はそれ以降鎖国状態に入ってしまいます。いろいろな文化が時間を掛けて、展開し、成熟して行きます。