厄介な隣人2

 彼らは、よく、「歴史を鑑に」と言いますが、快い言葉と、私達の間違った先入観には、よく注意しないといけません。 と言いますのは、彼らが言う歴史と、我々が考える歴史とでは、「歴史」の概念が全く異なります。 彼らのいう歴史は、暴力によって勝ち取った天下を、天から与えられた天下だと嘯くためのもので、その嘘の正当性を謳い上げるのが歴史で、当然、嘘も混じった美化された創作歴史です。彼らは、それを歴史だと信じていますので、余計に始末が悪いのです。事実や物的証拠によって、探求する歴史が私達の歴史ですから、同じ言葉でも、中身は、似て非なるものです。
 
 ことごと左様に、外国では、「言葉の定義、概念」を、異なりますので、しっかり調べないと、とんでもないことが起こります。
 例えば、日本人の身の周りには、沢山の「約束」というのが、纏わり付いています。それをきちんと果たすから、日本の国は、恙無く前進しているのです。例えば、約束という言葉を使っていませんが、「日程表」と言うのは、約束の塊です。もし、日程を守れないとしたら、責任問題であり、自己の信用を落としてしまいます。或いは、相手に断りを入れて、何とか取り繕うとします。 ところが、韓国では、意味がもっと軽く、次から次へと約束が入ってくれば、どんどん、こぼれ落ちてしまい、そうかといって、ケアは、何もしないそうです。周囲が皆そうなので、自己の信用を、落とすこともなく、推移してゆきます。
 彼らも面子を大切にする人達なのですが、その程度なので、「面子」の中身も、怪しいものです。