シビリアンコントロール

シビリアンコントロール

 巷では、「シビリアンコントロール」と大騒ぎしていますが、全く観念的な代物でしか有りません。
 もともと共産主義者は、狡猾で、プロパガンダが上手い。彼らが何か言い出しますと、必ず裏が有ります。彼らは、言葉遊びをし、本質とは別の方向に大衆の目を逸らし、問題のすり替えを行い、大衆を、間違った方向に洗脳しようとしているとしか思えません。

 今回は、恐らくは、東條英機氏が、開戦当時、首相を務めていたから、ダメだと言っているのでしょうが、彼の場合は、例のお公家さんの近衛氏が、途中で政権を投げ出したものだから、単に、お鉢が回ってきただけで、クーデターを起こしたり、強奪したりしたわけでも有りません。ご本人も、指名されて、驚いていたそうです。

 軍国主義(当時、このような言葉さえ有りませんでした)が、大東亜戦争を起こしたと言うイメージを、コミュニスト中心のGHQが作り、文民統制シビリアンコントロール)が必要であるかのように説いていますが、全く関係が有りません。

 もともと、日本に軍国主義なんて有りませんでしたし、最近では、第二次世界大戦を仕組んだのは、ルーズベルトとその取り巻きのコミュニストだったと言うのが定説になりつつ有ります。
 原爆開発を指示したのも、原爆投下を指示したのも、無差別爆撃を命令したのも、文民の米国大統領です。軍人の大部分は、原爆投下に反対し、命令を受けたから実行したに過ぎません。
 米国は、そのことを白状しますと、自国を貶める事になりますので、昨今では、その考えを修正主義呼んで、必死に排除していますし、同時に、そのことから、目をそらせるために軍国主義が戦争を始めたと言うイメージを作り上げました。未成熟の国家は、いざ知らず、近代の国民国家では、国家の下に国軍が有ります。そして、クーデターは失敗しています。

 日本が失敗したというならば、国軍が政治に圧力をかけたと言うことであって、例えば、東条氏ではなく、他の政治家が首相になっていたからといって、大東亜戦争が回避されたのでしょうか? シビリアンコントロールしたからと言って、何の解決策にも、抑止力にもならなかったでしょう。当時の政治家は、命を懸けて政を行っていました。臥薪嘗胆に臥薪嘗胆を重ね、耐えてきましたが、ついに耐えられなくなり、「窮鼠猫を噛む」と言うような行動に出たのです。当時の人々は、やっとその束縛が解けて、ホッとしたというような感想が多々有ったのはそのためでしょう。

 たとえ、そのシビリアンでも、命を懸けて、国、国民を守る覚悟がなければ、事態を悪くするだけです。
 逆に言えば、軍事の分からない人間が、軍を指揮する方がもっと酷いことになるのではないでしょうか。福島原発の事故の際の当時の菅首相のドタバタは、命懸けの覚悟もなく、危機管理も分からない、口先だけの政治家の最悪の見本です。辞任させられてからの彼の行動は、とても当時、命がけであったとは考えられません。
シビリアンコントロール」なんて、単にイメージだけです。全く関係が有りません。

 歴史的に言えば「不磨の憲法」と言って、時代にそぐわないものになっていたにも拘わらず、大事にし過ぎたため、軍人をのさばらし、失敗をした日本国が、70年前に、GHQから与えられた俄作りの憲法を、「平和憲法」と呼んで、温存し、またもや失敗を繰り返そうとしています。こちらのほうが大問題です。
 70年前は、シナ大陸も朝鮮半島も食うや食わずの状態で、産業機械も、軍備も、自前で作れなかったのですよ。唯一彼らが取れた戦術は、人海作戦だけでした。
 更に、都合の悪いことは、「竹のカーテン」と称して、全て秘密にしていました。バカな中国学者が、そのウソにまんまと引っかかり、桃源郷のように吹聴し、大衆をミスリードしました。その時代に作られた俄憲法を後生大事に温存して、我々の子孫に禍根を残しましませんか?  時代に則したものに改善する必要があるでしょう。