・日本・日本人13

 日本語
 先般、読んだ本で、宮脇淳子さんが、日本人が、平仮名カタカナを編み出し、話し言葉で、文書に書き留められるようにしたので、日本には、用語を統一するための「科挙制度」の必要がなかったとおっしゃっていました。

 更に、日本人は、支那人にもわからない文書を、書き下し文というテクニックを編み出して、日本語として読み解くことが出来るようにしてしまいました。恐らく当時は、誰も意識していなかったでしょうが、その後の日本の成り立ちに大いに寄与したことと考えます。
 朝鮮半島では、同じような動きとして、200年ほど遅れて、折角、ハングルを生み出したのに、了見の狭い両班どもが潰してしまい、失敗しています。そして両班の制度が残りました。

 ケント・ギルバート氏が、「日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない」とおっしゃっていますが、私の拙い外国語の学習においても、英語も、それをマネた中国語もぞんざいな言葉だと感じていました。 そして、特に、擬態語、擬音語も含めた、 雨、風等自然現象を表す言葉は、実に豊富です。
 彼の場合は、日本語を英語に直すのと、英語を日本語に直すのでは随分違うそうです。そして、面白い指摘は、通常、「日本語は五十音」と言っていますが、濁音、半濁音、捨て仮名と呼ばれる、小文字で表す語も入れますと、76文字有るではないですかとのことです。
 
 それよりも、大切な指摘は、明治維新のころに、英語を国語にしようと言う意見がありましたが、それを主張したのが、初代文部大臣の森有礼氏だそうです。西洋の政治、経済、科学等において、日本の概念に存在しない語彙が有ったので、そういう主張をしたのではないかということです。しかし明治期の先人たちが苦労を重ねて、種々、新しい語彙を編み出してくれましたので、現在も豊かな言語生活が有ります。そして、日本に留学した支那の方々もお国に持ち帰って使用しています。共産党の共産も、共和国の共和も、日本生まれの語彙です。

 彼の半島では、両班が、己の利権を守らんがために、ハングルを蔑ろにしたり、戦後、単なる「見栄」だけで、漢字を廃止したので、現在、古い自国の文書も読めなければ、読書熱も停滞しているそうです。どう見ても、宮脇氏が言う、「悲しい歴史の国の韓国人」ですね。